5日に一度更新します
ウブドの「今」を写真を使って紹介

今日のウブドウのバックナンバーはこちらから

「バリ日記」
                                                            その他の吉川孝昭の作品 
                                                               その他の吉川孝昭の作品(U) 
                                                     略歴 リンク 
                                                      宮嶋紀子作品

04年10月16日サーバーが変わりました。
新URLは
http://www.yoshikawatakaaki.com/です。

今後はhttp://www.yoshikawatakaaki.com/からアクセスしてください。よろしくお願いいたします。

お手数ですが http://yoshikawa.balibagus.com/をお気に入りに入れている方は再度
http://www.yoshikawatakaaki.com/をお気に入りに入れ直してください。

http://yoshikawa.balibagus.com/は、数週間以内に後完全に閉鎖され、アクセスできなくなります。



2004年5月4日 晴れ
満月






今日の満月もなんとも清々しく堂々としていた。ウブドは今日本人でいっぱい。
ここ一週間深夜は雨が降る日が続く。










4月18日
オダランの日々

3日前から家から70メートル離れたところにあるお寺のオダランが始まった。村人は総出で朝から晩までお祈りに明け暮れて
いる。昼は資金集めの闘鶏(タジェン)が賑やかに開かれ、夜はガムラン演奏、影絵のワヤンクリット、夜店や博打も続々登場。
息子は子供用のサイコロ博打(コチョカン)が小さい頃から好きで、よく参加している。小さい頃は私も手作りのコチョカンを作って
家で遊んであげたものだ。サイコロの動物と布の上の動物が合致すれば賭けた金額の分もらえる。サイコロは3つあるので最高3倍の
金額がもらえる。これは息子だけでなくどの子供達にも人気があって、いつもどのコチョカンもすごい人だかりだ。息子は結構勝っていたが、
最後は少し損をして終ったようだ。ちなみに私は昔から賭け事は苦手で見るだけだ。



昼は村の男達によって闘鶏が行われる。これもきちんとした宗教儀式。夜はガムラン演奏や影絵、お祈りの人々でお寺の中はぎっしり。

     




絵当てサイコロ博打(コチョカン)。小学生や中学生が千ルピアを握り締めて賭ける。息子は阪神タイガースファンなので虎によく賭けていた。

               










2月6日満月の翌日


ウブドはここのところずーっとどの村もウパチャラだ。今夜はこの村でもチャロナランという魔除けのとても大事な
踊りが深夜ある。まったくバリ人はたいへんだ。お金も時間も宗教にとられている。そのかわりそれに係わっている間は
余計な、ブッシュ大統領的な神経症はでないので平和といえば平和である。









子猫のプリンは力がついてきて箱から自力で出始めたので母親のマリは私達のベットの上で育て始めた。









1月17日晴れ時々曇り

ガルンガンの間、どの村も子供達のアルバイトであるミニバロンの踊りで賑わう。
これは結構な収入になるのでみんな必死で朝から夕方まで家々を回る。ちょっと買い物に出かけただけで
4つのミニバロンたちに出会った。みんなそれぞれかわいい。
ようやく今日あたりからどの店も活動し始めたようだ。


(このグループはサロンのガラを統一して凝っていた。)












1月13日
ガルンガン前日

明日からがルンガン(お盆)なのでどこの家も大忙しである。ペンジョールは取り付けるし、ラワールは作るし、
明日のために家のお寺に飾りつけはするし、明日のお祈りのための膨大なお供え物を作るし、で、
てんてこまいだった。私達家族も朝は生ラワ―ル、午後は蒸しラワ―ルのおこぼれをいつものようにもらって、
ガルンガン気分を味わう。ラワールは2人前は軽く食べれる。今年は3人前を食べた。




(前のアグンライの家では写真のように準備で大忙し!)

   





(どの店も、家も、ペンジョ―ルだらけ。右の写真は蒸しラワ―ルと鴨のサテ)

    






1月6日
満月

今バリは雨季だが、ここ数日は実に天気が良い。今日の満月も雲ひとつなくはっきり見ることが出来た。
正月も、もう終りなのでどの国の旅行者も、帰国の途についたもよう。
ウブドはまた少し静かになった。


(今日はどの村でも大きな儀式が行われた)









2004年1月1日
晴れ時々曇り

今年も昨年同様晴れた。しっかり初日の出を拝んでから寝たが、眠かったのでデジカメはその前の
夜明け前を撮った。さきほど(2日朝5時)に震度3ほどの地震があった。大きめの地震は5年ぶりくらいか


(元旦の幻想的な夜明け前.自宅テラスより渓谷を望む)










12月8日曇りのち晴れ
満月

昨日は夜に雷が鳴り響いてこの世の終りかと思ったが今日は
夜に何とか晴れた。今日の満月はさわやかな雲がたなびく中
白く神々しかった。この世は憎しみと悲しみと復讐に満ち満ちているが
月は昔と変わらない。この無間地獄の中でわずかにほっとする瞬間だ。




(7日の夜は雷が1時間以上鳴り響いた)






(8日の満月は神秘的だった)











12月3日曇りのち小雨


車の調子が悪いので今日もベモに乗って買い物に行く。
ちょうど夕方の中学生の下校時刻とぶつかりどのベモも満員で乗れない。
諦めてテクテク歩いていたらいたらようやく席が少し空いているべモに出くわした。
中学校の前では子供を迎えにきた親達のバイクがずらりと50台ほど並んでいた。
ちょっと前まで中学生は自分の足で帰るか、べモを使っって帰っていたが近年このように
親達が送迎するようになってきている。ちょっと過保護かな?時代の流れを感じる。
12月に入ったがそんなにツーリストは増えていない。クリスマスが近づくと増えるのだが
世界情勢が不安定な今年はどうか分からない。困ったもんだ。


(下校時刻と重なったので中学生が多いべモの中)           (中学校の前ではずらりとお迎えのバイクが並ぶ)

   



(王宮の前もまだ旅行者はちらほら)










11月15日曇りのち雨


今日はトゥンプッ ランデップの日
トゥンプッ ランデップとはバリヒンドゥの宗教儀式で「鉄や車、バイク、などを清め、お祈りする日」だ。
バリ中の車やバイクがきれいに洗われて飾り付けをしてもらって家中の人からお祈りされる。
まあほんとにバリヒンドゥはなんでもお祈りしてしまう。みんな1年中何らかの儀式の準備をしているのだ。
あいにく車にお供え物を置いた頃雨が降ってきたが、それでも構わず儀式はすすめられた。
私の車にも写真のようにお飾りがついた。












11月8日晴れ
満月

超ひさしぶりの更新だ。あー、ウブドに帰ってきたんだなあって思う。
昨日の台風のような風雨が嘘のように晴れわたった。
昨日の雨で渓谷の木々は生き返ったように青々として満月に照らされていた。
ウブドは今静かだ。









8月12日晴れ後曇り
満月

昨夜久しぶりに雨が降る。一夜明けて今夜は雲と月の関係が絶妙だった。
一分ごとに雲の形がめまぐるしく変わり、いつまで見ても飽きなかった。

さすがに8月だ。先週は3ヶ月ぶりに絵が売れた。
SARSの影響もかなり薄れてウブドは毎日賑わっている。











8月4日晴れ


どの村もお葬式の準備でここ数日忙しそうだ。昨年亡くなった親友のアグンライもサンギンガン村の
グループお葬式のリストの一人だ。お金持ちは亡くなってすぐ家族がはでなお葬式をおこなうが
一般の人たちは経費節約のため、1年後や2年後にグループで一括して行う。生活の智恵だ。
ウパチャラもここ一週間激増。もういたるところでウパチャラ渋滞。
ウブドは旅行者でいっぱい。

(夜も500メートルののろのろ運転でした。でもオダランの行列は美しいので良しとしている。)









7月28日晴れのち曇り


ここのところ2週間ほど時々小雨が昼に夜にぱらつく日が続いている。
ウブドウはゴルカル党の集会が盛んにおこなわれていた。巻き返しをはかろうと
必死だ。おかげでウブド中まっ黄黄だ。
旅行者はもう昨年なみに回復した感じだ。日本人のカップル、家族たちが
わんさと集まってきている。スーパーに買い物に行ってもここは日本かと間違うほどに
日本人がたくさん来ていた。


(ゴルカル党の旗がいっぱいの王宮前)





(夜の8時を越えても旅行者が絶えない王宮前7月28日)











7月19日晴れ後曇り

いやーようやくウブドが活気付いてきた。日本人はもう相当増えたし、欧米人もどんどん増えてきている。
破産寸前の店もようやく息を吹き返しつつある。日本は夏休みに入ったと思うので、これからますます
旅行者が増えることだろう。ほっとしている。
数日間続いていたウブドの大きな寺のオダランがようやく終わろうとしている。
オダラン渋滞解除。買い物の帰り際、車窓から撮ったお寺の前。












7月14日晴れ後小雨

昨日13日は満月だった。ここのところサーバーの調子が悪くて更新ができず一日遅れの
満月になってしまいました。夜になって雲が出てきたが雲の切れ間の満月もいいもんだ。
さすが7月も中旬になると、日本人の旅行者が相当増えてきた。欧米人も徐々に増えつつある。




(夜半からようやく晴れ間が出てきた。たなびく雲の絶え間よりもれいずる月)










7月8日晴れ

今日はチャンプアンのオダラン渋滞で20分渋滞!疲れた。
しかし、早朝や夕方の光は相変わらずきれいで寒いせいか森は枯葉でいっぱいだ。
毎年この季節に私の庭に咲く「バリ桜」もようやく満開だ。
こういう時期、息子は敷地の落ち葉を使って焼き芋を焼きたがる。私も宮嶋もおこぼれをいただく。

(私の敷地のバリ桜も満開だ。)





(焼いもを焼く息子 7月7日)




ところで今日も阪神タイガースは勝ち7連勝!ついにマジック49が点灯!
本当に毎日全員で闘っているその姿に感動。
それにしても今岡ほんと成長したなー。いい選手になった!

六甲おろしー!

六甲おろしに颯爽と蒼天翔ける日輪の
青春の覇気うるわしく輝く我が名ぞ阪神タイガース
オゥオゥオゥオゥ阪神タイガース
フレフレフレフレ
闘志溌剌 起つや今熱血既に 敵を衝く
獣王の意気 高らかに無敵の我等ぞ 阪神タイガース
オゥオゥオゥオゥ阪神タイガース
フレフレフレフレ
鉄腕強打 幾千度び鍛えてここに 甲子園
勝利に燃ゆる 栄冠は輝く我等ぞ 阪神タイガース
オゥオゥオゥオゥ阪神タイガース
フレフレフレフレ









7月1日 晴れ

クニンガンが先日ようやく終わった。クニンガンとはガルンガンのとき天上から
降りてきた神様が天上にもどっていく日である。二度目のラワールを食べれる日
でもある。たまたま前日の夕方大きな豚を運ぶ人たちに出会った。
アグンライの家族もクニンガンのお供え物つくりに大忙しだった。





(このあと豚は夜明けにラワールになる。)






(クニンガンのお供え物)













6月26日 晴れ

ガルンガンのあとはおなじみの子供達によるお小遣い稼ぎミニバロン踊りがそれぞれの
村々で毎夕賑やかに繰り広げられる。一日に多いときには3グループくらいに出くわす。
2000ルピアほど出して踊ってもらう。ありがたい気持ちにはなりにくいが嬉しい気持ちになれる。
旅行者はちょっと増えてきた。もう少しの辛抱だ。


(カメラを向けるとこちらに向かって踊ってくれた。)





(ガルンガンのあともまだまだ色があせないペンジョール。)












6月20日晴れ時々曇り

18日はガルンガン.だった。
久しぶりにラワールをたらふく食べた。アグンライの家族も私達がラワ−ルに目がない
ことを知っているので2日に渡ってどっさりとくれた。生も蒸しもやっぱり美味しい。
息子は毎日街角のどこかでバリの生菓子を買ってほおばっている。ちょっと本日の被写体になってもらった。
観光客は相変わらずなかなか増えない。7月になると増えてくる気がするが。




(道ばたの出店で売っているバリの手作りお菓子は種類が多くて安い。)












6月14日晴れ
満月

今日の満月はでかい!それゆえ明るい!
どこの家も満月の儀式で大忙しだった。18日はバリのお盆「ガルンガン」だ。
あさってあたりからどの店も休みに入る。ウブドに出稼ぎに来ている人たちも
故郷の村々に1週間ほど里帰りする。



(自宅テラスから見た大きな満月6月14日)















6月11日晴れ

夕方まで晴れたが夜半少し雨。雨もたまにはいい。
ウブド王宮前は道も新しく模様が入って化粧直しをしたのだが、肝心の旅行者が思ったより増えていない。
踊りのチケットを売る人たちもトランスポートのおじさんたちも暇そうだ。困ったもんだ。



(6月11日夕方王宮前)











6月7日晴れ


もう3週間ほど雨らしい雨が降っていない。空はいつも晴れわたり曇ることすらほとんど無い。
お陰で数日に1回、数時間の断水がある。旅行者は少し増えた感じ。特に日本人が目立つ。
私の家の猫たちもだんだん大人猫に近づいてきた。


(夕方の光は本当に美しい。6月7日自宅近く)






(すっかり大人の雰囲気がでてきた我が家の猫たち6月5日)











6月2日晴れ


昨日ウブドの王族の大きなお葬式があり、王宮付近は昼からどえらい騒ぎだったらしい。
私は、外出するのが遅かったのでお葬式はもうほとんど終わっていた。
焼き場ではもう、あらかた人は帰ってしまって、親族がお骨を拾っている最中だった。
私は、昔はよく、大きなお葬式があると一目散に取材に出かけたものだが近年は人に酔うので遠慮している。
年々人の中で交わったり、しゃべるのが苦手になっている。困ったものだ。しかしそれと反比例して絵は
よく描くようになった。やはり気持ち的に、「ひとり」になる時間が増えないとならないと絵は描けないのだろう。
ウブドは晴れた日が続き、少し涼しいのでとても過ごしやすい。



(夕闇迫る頃、お骨を拾う親族)










5月28日晴れ


ウブドは少しずつ活気を取りもどしつつある。晴れた日が続き、夜の闇が迫るころも光が美しい
今年の雨季は豪雨続きで体がきつかったのでここ数週間が妙に嬉しい。
しかし、せっかく旅行シーズンになってきたのに旅行者への規制が厳しくなり、今まで15年以上にもわたって
60日間滞在できたのが30日間になってしまうそうだ。近じか約5500円の旅行者専用の入国税を取るらしい。
今のところ実施されていないが遅くても9月頃だということ。
これではますます旅行者は逃げてしまう。インドネシア政府にとっては逆効果だと思うのだが。何を考えているのだろう。
大阪人的にいうと「アホちゃうか何考えてんねん」という感じ。活気がないとバリはバリでなくなるのに。
短絡的な外貨獲得政策は自分の首を締めることをいずれインドネシア政府は気づくことになるだろう。




(道も新しくデコレーションされたウブド王宮付近の夕暮れ)










5月21日晴れ

もう2週間も雨が降らない。気温はますます寒くなり、私の敷地の木々も赤く色付きはじめた。
熱帯と言えども南半球なので少しは「秋」の気配がする。空気が澄んでいるので連日アグン山が朝夕見える。
もっとも、ウブドの町の中はそれほど夜でも寒くない。私の敷地とは3℃ほど違う。



(赤く色付く私の敷地で一番高いジャックフルーツの木。実は大きく、めちゃうま。幹は高級建築材になる。)












5月18日晴れ


本当はまだ更新の日ではないのだが、今日は夕方頃、久しぶりに自宅近くから霊峰アグン山がくっきり見えたので紹介します。
この山はバリ人にとって島の中心であり、この世界全体の中心でもある。私も7年前にこの山の3100メートルの頂に登頂した。
下山途中で死にかけたのだがそのことは以前バリ日記に詳しく書いた。私にとって人生の転機になった思い出深き山だ。




(日本人にとってはバリ富士ともいえる形。美しい姿だ。)













5月16日晴れ

ここ1週間ほとんど雨無しだ。昨晩は満月だった。うっかりデジカメで撮るのを忘れ、1日遅れで満月を撮った。オダラン
の行列や大きな葬式もここ数日で何回かあった。オダランの行列の写真はバリ日記に載せたのでここでは葬式の時の写真を
載せます。以前プリアタン村のチョコルド(王族)の葬式をこのHPで紹介したが昨日はその奥さんが亡くなったためのもので、
同じように大きな葬式だった。南半球にあるバリはそろそろ秋も深まり、夜は少し肌寒い日もある。私の家は渓谷の上なので
なおさらだ。SARSの影響で依然としてウブドの旅行者は例年より少ないが、それでもほどほどには賑わってきた。もう少しの辛抱だ。



(見事な満月と燃える大きな牛。さすがプリアタンの王族だ。規模も大きい。)

        










5月11日晴れ

今日は1日中実によく晴れた。夕方、ウブドの外れにあるニュウクニン村にスケッチに出かけた。
この村は私達が1992年から1994年までホームステイをした村だ。いわゆるプロのホームステイ屋でなく、まったく
普通のお坊さんの家に住まわせてもらった。この時の2年間は「バリ」を知るうえでとても大きかった。当時は道も舗装されておらず、
道もこの村で行き止まりになっていてプリミティブな部分がたくさんあり、興味が尽きない私達の「居場所」だった。
今なら絶対しないようなムチャや恥ずかしいことももたくさんやった。宮嶋の1冊目の画集もこの村での取材によるものが多い。
今はすぐ横を大きな道路が横切ってしまったので「気」が変わってしまったが私達が住んだお坊さん(プマンク)の家は当時のままの雰
囲気だ。借りていた部屋も、アトリエもほとんど変わっていない。その家のプマンクもお爺さんもお婆さんも数年前に死んでしまったが、
彼らの面影が庭やテラスに宿っているようだった。ちなみに、この家の主であったそのお坊さんは彫刻家で、若い頃の作品は
凝縮感と躍動感があり、かなり凄い。数少ない本物だ。いつかこのHPでも紹介したい。王宮の横にあるプリルキサン美術館にも
何点か展示されているが、そこにある作品よりもっと前の若い時代の作品がいいのだ。まあそのことはいつかまた書きます。






(左、私達が住んでいたお坊さんの家。ほとんど変わっていない。     右、今は舗装された道路。当時は地道でパワーがあった。)

     





(私達が住んでいた部屋。左の方にもう一部屋あり、それが宮嶋のアトリエだった。)











5月5日曇り時々晴れ


昨日は久しぶりに夜に豪雨があった。

今朝は薄曇の中、カランガッサム地方のバリ島先住民(バリアガという)の村テンガナンにスケッチに行った。以前からこの村の
あり方に興味があり、時々絵を描きに行く。家々の様式、風習、文化、全てウブドとは全く違う。とても、エキゾチックなのだ。
人々の気質もウブドよりワイルド。少し怖いところもある。婚姻も村人同士で行い、村の中に住む。「血」を大事にしているのだ。
この村はグリンシンという名で有名な経緯(タテヨコ)絣の産地でもある。私はもともとインドネシアの染織に興味があったので、
一昔前、この村に通って戦前の呪術用グリンシンを5,6枚手に入れたことがある。当時は年代の古いものもまだ残っていて何とか
買える値段だった。今では現地でインドネシア語を使って交渉した後でさえ当時の3倍以上の値段、古くていいものは1枚で3万円
くらいから20万円くらいする。(旅行者価格はそのまた2〜3倍くらい。日本末端価格はさらにそのまた3〜4倍)本当に高くなったも
のだ。古いものが無くなってきたせいもあるが、世界的に有名になりすぎたことも高値の原因になっている。もっとも、写真↓のような
「新作」ならば、まだ少しは安い。でも、戦前のものとは布の持っているパワーが月とすっぽん!織る人の心のあり方も違う。この布の
糸は何度も染めては乾かすので染め終わるまでに7年ほどかかる。だから深い微妙な色合いがでる。経緯絣ゆえに模様を立体的に
フワッと浮くように織り込んでいるのも魅力的。知り合いの家で写真を撮らせてもらった。ウブド風景ではないが許してください。




(白魔術の意味合いを持ち、大切な宗教儀式にのみ使われるグリンシン)






(私が1992年に描いた作品。「バリアガの村(テンガナン)」F8号.油彩)









4月30日晴れ後曇り


日本はゴールデンウイーク中だが、ウブドの日本人はちらほらであまり増えていない。
毎年この時期は大勢の日本人で賑わうのだが…
SARSの影響が飛行機の運休に繋がり、ウブドも活気がなかなか戻ってこない。
観光業や土産物屋にとってまたもや「辛抱」の時がやって来た。



(モンキーフォ―レスト通りも静か)








4月25日晴れ

バリにはいろんな儀式が1年中あるが、鉄や機械にお供え物を捧げる日。というものがあり、
先日も「鉄の日 」トゥンプッ ランデップという日だった。この日は「車、バイク」などにお供えをする日。
もうバリ中の自動車、バイク、自転車などが綺麗に洗われて、お供え物を供えてみんなでお祈りをするのである。
夕方、出かける時、私の車も例外なくお供え物が乗っていた。お祈りが終わるまで傍で待っていた。
全く人間というのはいろんなことを考えるものだ。実に興味深い。
今、ウブドは連日晴天続きだ。


(まあ、だいたい40分くらいで儀式は終わる。)









4月20日晴れ



ここ1週間ほんとに良く晴れる。お陰で洗濯物はすぐ乾くし、やりたいこともスムーズに行く。
屋根、台所、洗面所、と壊れていたところを修理していった。
今日は特に夕方の光がとても柔らかくて気持ちが良かった。しばらく絵を描いて、気づくと相当暗くなってしまった。
外出しようと思ったがなんとなくアトリエでボーっとしていた。よって今日のウブドは「夕闇迫るアトリエ」ということにした。

昨日見た限りでは、ウブドは昨年のクタのテロ事件の時よりはまだ今のほうが活気がある。旅行者も意外に結構いた。
やはり日本人が一番多い。
最近ウブドでも美味しいフランスパンを売る店が何軒かできたので、よく出かける。しょっちゅう買っている。



午後7時。アトリエと夜になる直前の空。涼やかな風と虫の声につい1時間ほどボーッとしてしまった。









2003年4月16日晴れ

満月

今日は良く晴れた。月も美しい。

ウブドはイラク戦争や重症急性呼吸器症候群(SARS)の影響でまた静かになっている。

2週間前からデジタルカメラの調子が悪く撮影できる日と出来ない日がある。今日はなんとか撮影できた。
この島は湿度が高いので機械ものはたいてい2年か3年で調子がおかしくなる。まあ、重症の
デジカメを騙し騙しやっていくしかない。もちろんバリでもデジカメは売っているが関税が入るので値段が
日本の1,3倍くらいする。8月に日本に帰るまでなんとか粘りたい。そのかわり、その湿度の高さは私の喘息を
止めてくれてもいる。喘息が出ないことはうれしい。喘息は苦しい。それと比べたら機械が壊れるくらい平気だ。
バリに住み始めて13年この間ほとんど喘息は出ていない。こんな嬉しいことはない。おそらく湿度だけの問題
ではないのだろう。「ストレス」の有無がそれ以上に大きいと思っている。この島の人は私の「業」を赦(ゆる)し
てくれる。私のようなわがままな者でも受け入れてくれる余白がこの土地にはある。



(バリは今、秋である。これから涼しくなっていく。)











2003年4月10日晴れ後曇り

今日で4日連続のオダラン渋滞だ。まったく「とほほ」である。
チャンプァンの古寺で大きなオダランが行われているためである。
このお寺はウブドの総本山のような存在なので近隣の村々からのバロン納めとお参りが毎日のように
続くのである。まあしかし、行列を見るのも悪くは無い。旅行者も運が良いと、このような行列に遭遇する。
行列の周りからなかなか良い「気」が漂い、「有難い」気分になる。

中東では戦争が終結しようとしている。なにはともあれ一般市民の死者がこれ以上でないことだけを祈っている。
ブッシュはこれで勝ち誇っていい気になっているのかもしれないが、今回行ったこの一連の無謀な行動のツケを被る日がいつか
くるだろう。遠い昔、正義の名のもとにネイティブアメリカンを殺し、今も正義と秩序の名のもとに中東に介入している。
アメリカの持っている強い神経症(脅迫反復)は昔も今も絶望的に重症だ。本当にこの世は憎しみと悲しみに満ちている。



(時々2つの村の行列が同時に続く時が有る。そういうときは渋滞が30分は続く。)

         








今日のウブド
オゴオゴの夜2003



2003年4月2日曇り

今日はバリの新年、ニュピだ。ニュピは1年に一度だけ全ての活動を止めて休む日。私の大好きな日だ。
島内の全ての店、役所が閉まる。空港も誰もいない。人々は敷地の外にすら出れない。大きな物音や大きな声を出す
ことも出来ない。夜になると全ての灯りを消し早々に寝る。もちろん旅行者も宿の外には一歩も出れない。
このようにして一年間貯まった疲れを癒す。一昔前は火を使うことも、食事も禁止されていた。
内臓も休む日であったのだろう。もっとも私の敷地は道から外れた渓谷の真上のジャングルの中にあるからニュピでなくともいつも
とても静かだ。毎日がニュピといってもいいくらいだ。

ところで昨夜のオゴオゴは昨年にも増して盛り上がった。今回は王宮の見晴台から取材したので担ぎ手の
一人々の表情が良く見れていい取材が出来た。迫力のあったシーンを紹介します。

また数日後にはオゴオゴの『動画』を「バリの音」にアップしますのでお楽しみに。




        




        




        




    




    




    










3月30日 晴れ時々曇り

いよいよ明後日は魔除けの「オゴオゴ」が町を練り歩く大晦日だ。
今年もそれぞれの村で自慢のオゴオゴがほぼ完成に近づいていた。目立ったものを選んで取材してみた。
去年は当日エネルギッシュなオゴオゴがウブドの夜を賑わしていたが今年はどうか。戦争の影響で規模が縮小されるのか。
まあ、蓋を開けてみないとわからない。




(オゴオゴの体には必ず小さな獣がくっ付いている。それを見つけるのも面白い)

               





(どれもこれもほとんど完成していた。)

         








3月17日 晴れ

満月

3月も半ばを過ぎ、ニュピ「新年」まであと2週間となった。ウブドのあちらこちらでぼちぼち「オゴオゴ」を
作るグループが現れ始めた。このあとどの村でも凝りに凝ったオゴオゴ作り競争が静かに繰り広げられる。
そして4月1日にバリの町中を百何十ものオゴオゴが魔除けのために練り歩くのだ。そして翌日「静寂」の
ニュピが訪れる。そういえばこのホームページを立ち上げたのがちょうど1年前の今ごろだった。
もう1年になるのか。1年で1万6千回のアクセスをしていただいたのはありがたく嬉しい限りです。またいろいろ
励まし、応援のメールもたくさんいただき、とても励みになっています。ありがとうございます。

夜になっても空は晴れ渡り、美しい満月が白く、昼間のように明るい夜だった。








作っている最中も楽しめるオゴオゴ作り。昨日あたりからいよいよ始まった。

         








2003年3月13日晴れのち曇り

昨日も今日もしっかり晴れた。ここのところ晴れる日が増えてきている。雨季が終わろうとしているのだろう。
ウブドのセンターから美しい雲が見えたので撮ってみた。日本でいうと梅雨明け間近という感じか。
昨晩は家の猫の出産(子猫4匹)があり、疲れた〜。



 (熱帯の晴れた空!が増えてきた)          (夕方、サッカー場から霊峰アグン山がくっきり見えた。↓)


      








2003年3月5日晴れのち曇り

今日の夕方ウブドの王宮の中からガムランの音が聞こえた。これは子供達の踊りの練習が見れるな。と思い。
ちょっと立ち寄った。案の定大きな蓮池の横で神様への歓迎の踊り「ペンデット」を練習していた。ここで上手になった
子供たちは時々、王宮で行う外国人用のプロの舞台に立てる。これは「お金」のため。
もちろん大切な村のオダランの時にもお呼びがかかる。こちらは「名誉」のため。
この池の前は半野外レストランにもなっていて、とても雰囲気が良い。最近ようやく雨が少なくなってきた。
ガムランはイブイブ(女性達)の演奏だった。つまり子供達と同じように彼女達にとっても練習の場なのだろう。
もうすぐ雨季が終わる。




(なかなかみんなアガム(型)が決まっていて、練習の総仕上げの時期って感じだった。)

   



練習場の前は王宮の庭。蓮池が美しい。











2003年2月21日曇り


今日のウブド.スペシャル・「これが村のオダランだ!」

ここ3日ほど家の前のお寺で大きなオダラン(記念祭)が行われている。昨日と今日がメインで、サンギンガン
村はもちろんのこと近隣の村からもお供え物を抱えてお祈りにやってくる。今回は踊りも2日にわたって踊られた。
私はこの寺の裏手80メートルに住んでいるのでオダランのたびに毎年いくらかの寄付をしている。それゆえほとんどの
村人たちと知り合いなので取材は比較的自由にできる。もちろんきちんとした正装と、作法を守ることは大前提。この作法と
いうのは単純なようでも、微妙なニュアンスが分からないといけない。だから何年か住まないと本当のところは見えてこな
いので旅行者の人が不用意に取材すると、案外ひんしゅくを買っているときもあるかもしれない。本人たちは気づいていない
かもしれないが。まあたいていの時はティダアパアパのバリ人も宗教儀式となるとちょっとシビアになるときがあるという
ことだ。オダランはタジェンに始まる。これは先日バリ日記に書いた。そしてバロンの奉納と厳粛なお祈りがメイン。そのあと
ワヤンクリット(影絵芝居)があり、踊りもある。踊りは今回のように大きなオダランだと、神様への歓迎の踊りに始まって
トペン、レゴン、などなんでも踊る。そして踊りと同時間帯にお寺のお祈りの場所では大勢の人が歌を歌い、祈りを捧げ、
聖水をかけてもらうのだ。なんとも神秘的な世界だ。大きなお寺の儀式よりも、このような小さなお寺の儀式の方が本来の
オダランの骨格がしっかり見えて、私はインスピレーションがとても沸いてくる。今回はスペシャル番として画像をたくさん
お見せいたします。たまたま運のいいことにお祈りと踊りの時間帯は2日間とも雨が降らなかった。




        闘鶏(タジェン)も立派な宗教儀式                   各村々からお供え物と一緒に守り神のバロンを奉納しに来る。

          






(お寺の入り口で最初にお祈りと奉納の儀式がとりおこなわれる。) (若い女の子たちはどの村でもクバヤとサロンの色を統一するのが流行りだ。)

           







(そのあとバロンやドゥルガは奉納殿に儀式が終わる日まで飾られる。)    (その隣では偉いお坊さんがいろいろなことを順番に拝んでいる。)

              







(サロンは一昔前までは綿だったが、近年はレーヨンが流行っている。)(奉納が終わると、それぞれ一斉にお祈りをし、聖水をかけてもらう。)

             
  




お祈りをする前に、女の人たちが神様に捧げる歌を歌う。この歌は古くから伝わってきた旋律で、いつ聴いても神秘的だ。


             





人々のお祈りと同時進行で踊りの準備も始まる。踊っている最中も神秘的でいいが準備中も絵心を刺激される。


              







踊りをする子もガムラングループもこの村の人たち。全て自前である。神様を招く子供達による「ルジャン」シンプルだがとても重要な踊り。

              
   







左もルジャン。右は降りてきた神様を歓迎するパニャンブラマ(ペンデット)これもシンプルだが重要な踊り

                 






日本でもおなじみのレゴンクラトン(レゴンラッサム)。3人の子供達がラッサム王子の物語を演じながら踊る。バリダンスの花形だ。
かつて宮嶋紀子がレゴンの原型を求めてこの踊りのクラシックスタイルをバリ芸術大学の先生でもあるぺジェン村の
サンガユ.カトット.ムクレンのもとでほぼ毎日6年間修行した熱い日々を思い出す。右はトペン。(オダランの時は一人の踊り手が何度も
仮面を変えていきながらいろんな役をこなす。踊りの通はトペンが好きな人が多い。


           






左はオレッグと呼ばれるハチの踊り。右はタルナジャヤと呼ばれる戦士の踊り。どちらも装飾性の強い戦後生まれの新しい踊りだ。


           







同時刻お寺の片隅ではコチョカンと呼ばれるサイコロ絵合わせ博打が行われている。時々子供達も参加できる。私の息子もこれが大好き。
この寺は亡くなった私の親友アグンライの彫刻がいたるところに飾られている。苔が付いていい味が出ている。大昔の彫刻に見えるが
これでもまだたかだか3年くらいしか経っていない。バリはどんなものでもすぐにアンティ―クにしてしまう。

           
   













2003年2月16日曇りのち雨
満月

先日眼鏡のガラスが割れてしまった。以前ならデンパサールまで行かなくてはならなかったが
今はウブドゥにデンパサールの支店があるのでそこで用足りた。1日で新しいレンズが出来てきた。レンズのランクも
ドイツの有名メーカーからローカルものまで何種類かあるので予算に合わせて選べる。家電を買うときも機械を探す時でも、
輸入物の建築材でもたいていデンパサールと同じものが手に入る。日本野菜も日本食もデンパサールなみになってきた。
ウブドゥも便利になったものだ。ブティックやレストランの質はクタよりもセンスがいいと言う人も多い。もちろん日本からの
輸入品もたくさん入ってきている。そしてそれと同じくらいそれらのにせものも出回っている。(日本だったら大騒ぎ)しかし
それらが可愛いのはいかにもにせものという感じの雰囲気とローカルの安い値段がついている。それゆえ誰もだまされない。
にせもの承知でそれらを買う。もちろん別にすぐ壊れるわけではない。CDもDVDも海賊版だらけ。滅茶苦茶安い。
ということで、何時ものスーパーで取材。今日は夕焼けがきれいだった。しかし夜から小雨。満月見えず。残念。




(ナショナルのにせものナシオナル?)                (サンヨーとトヨタをあわせてサヨタ?)

        



(タミヤのにせものマーク。本物のタミヤも隣の棚でたくさん売られているのが笑える。)  (にせもの日立のガスレンジ)

      





久しぶりに今日の夕方は美しい夕焼けが見られた。










2003年2月7日曇りのち雨

ちょうど午後3時、外へ買い物に行こうと家を出たら、いきなり豪雨。引き返すのも癪に障るのでそのまま出かける。
雨はますますひどくなり買い物帰りにはチャンプアンの長い坂道は湖のようになっていた。
崖の上からは大きな滝のように水が下の道路に溢れ出ていた。それでもここ2週間は少し晴れる日
が増えてきた。雨漏りも少なくなった。プリアタンの大きなオダランもようやく終り、最近は渋滞なし。





(滝のような雨水が崖上から道路に向かって降ってくる!)






(雨が降ったら仕事は休憩。男達は賭け事に興じる。自宅近くのお寺の境内にて)








2003年2月3日曇り

もう本当にまたかと思うほど今日もプリアタンダランプリ寺院からのウパチャラ渋滞。それも飛びっきり
長い行列。女の人たちのコスチュームが何グループにも分かれていて面白かった。今日の行列はお寺の
帰りなので頭のお供え物は空。女の人たちだけで400人くらいはいた。ここ3日は雨がほとんど降らず。
ここぞとばかりに昼間は布団や枕を干す。
ちなみに今年から華僑の人々の旧正月が正式に国民の祝日になった。華人はみんな喜んでいる。
ウブドウにも結構店を開いている華人は多い。彼らは、いたって勤勉でよく働く。




(最近の女性のクバヤとサロンの色合わせはバリエーションが増えてなかなか楽しいものになっている)

          




(延々と続く女性達のながーい行列)

         










2003年1月27日雨

夕方からまたまたダランプリ寺院へのながーい行列に出くわす。おまけにいきなり豪雨!
30分以上動けず。可愛そうに行列はみんなびしょ濡れ。道はあっという間に川のように水だらけ。
しょうがないので雨の道を撮った。このようなことは熱帯では珍しくない。雨季の間はしょっちゅうだ。
行政も未成熟なので雨水を上手く処理できるシステムが道路に出来ていないことも原因。
それにしても今回の雨季は実によく雨が降る。ここ1週間ほどは外で写生が出来ず、家のテラスで
息子を描いている。あと2ヶ月雨季は続く。とほ。




(これでもずいぶん水が引いたあとに写した。豪雨の間は車を運転することも撮影もできない。前が見えないからだ。)

    







2003年1月20日曇り

今日もプリアタンのダランプリ寺院の大記念祭に向かうながーい行列に2回も出くわして
20分渋滞。でも取材も出来たので「よし」とした。毎日毎日凄い人数の人々が
お供え物を持ってだランプリ寺院までやって来る。取材してもしてもキリが無いくらいだ。
この記念祭に出くわした旅行者はほんとラッキーです。なんせ数十年に1回ですから。
それぞれの行列が寺院に入ってからすぐに豪雨!間一髪セーフ。
最近はみんな儀式用コスチュームを統一している。




(ゆっくり時間をかけて進むので長い渋滞がはじまるのだ。どんなことがあってもこの島では車よりも宗教儀式が優先。メガワティもかなわない)

    




(細い道から回って抜け出ようとしたらここでもなんと別の行列に遭遇!運がいいのか悪いのか)









2003年1月14日晴れのち雨

久しぶりに朝から夕方まで思いっきり晴れた。,その屋根の高さゆえに一番最後まで直していなかった
宮嶋のアトリエの雨漏りを突貫工事で直そうと決意。しかし、私と息子だけでは無理なくらいこのササック様式の
屋根の傾斜はおそろしくきつい。そこで急遽、アグンライの弟に手伝ってもらうことにした。梯子をつなぎ合わせて
なんとか高い屋根の上まで登りきり2時間かけて直した。そのあと豪雨で外にでられず、
この修理作業が「今日のウブドゥ」となってしまった。許してください。




(高床式のこのアトリエは釘をほとんど使わず組んで作ったので、日本にも持って帰れる優れもの。
上下2部屋あるので使い勝手がある。ちなみに寝室もこの様式で作った。)

    







2003年1月6日曇りのち豪雨

プリアタンとウブドゥの間にある大きなお寺「ダランプリ」で約50年に一度の大きなお寺の
記念祭(オダラン)が1月11日から25日まで開かれる。それはもう大変大きな儀式で、準備だけでも
3ヶ月も前からおこなわれ、今日も私が取材している間中お供え物を運ぶ行列が絶えなかった。
まだ正式には始まっていないのにすでにプリアタンの楽団である「グヌンサリ」が何日も前からガムランを
演奏している。始まるまでまだ5日もあるのにもう相当な盛り上がりようだ。そういえば8年ほど前にもチャンプァンの
古寺の100年に一度の超特大オダランを見たがあの時は凄かった。バリ中から行列がやってきた。
今回のダランプリのオダランも相当なものとなりそうだ。もちろんバリの踊り、ジャワの踊りその他もろもろの
イベントがこれでもかというくらいに朝から晩まで行われる。この儀式にうまくぶつかった旅行者は大変ラッキー!といえる。
旅行者のための簡易儀式服セットも貸してくれる。これは親切心というよりは儀式を汚して欲しくない心からきている。




(村々からお供え物を持ちながら大行列が今日もやって来た。)







(↓踊りなどのイベントの予定も期間中ぎっしり書かれてある。儀式が始まる何日も前から有名ガムラングループが一日中演奏している↓)

     








12月31日曇りのち雨

今日も昼の1時頃からものすごい雷雨!ようやく雨が止んだのは夕方4時。大晦日なので外出するのは止めて
近所の子供達を取材した。今、ウブドゥでは「アメリカンクラッカー」がものすごい勢いで流行っている。小さい子供も、
若いお兄さんお姉さんもみんなカチカチ鳴らしている。アグンライの弟に流行のわけを聞いても、
「たまたまそうなっただけだ。」ということ。つまり何の理由もないらしい。バリの面白いところは、大人も無邪気にカチカチ
やっているところだ。凧揚げも鬼ごっこも大人も平気でやる。このような彼らの精神は絵を描く私にとっては面白いが
ビジネスに来た外国人にとってはビジネス仲間としてはいろいろ問題があるらしい。ここの島人はなかなか手ごわいのだ。
夜は紅白歌合戦をみて年越しそばを食べた。



(小さな子でも簡単に上手くなるので瞬く間にバリ中に広まった)

      





12月25日雨のち曇り

数日前からウブドゥはかなり賑やかだ。どのホテルも外国人旅行者やジャワからの現地旅行者で
ゴッタ返している。バリはインドネシア人にとっても訪れてみたい観光地なのだ。私の知り合いの
バンガロウもようやくお客さんが戻ってきた感じだ。昨日、今日と2日連続で手作りイチゴアイスクリームを
家族で作ってケーキと一緒に食べた。腹が生クリームでいっぱい。どこのスーパーもレストランもクリスマス一色。





(いつも行く大型スーパーも昨日と今日はクリスマスの買い物で大賑わい。
有名なレストランはみんなクリスマスの特別メニューを展開。お客さんもたくさんいた。)


                







12月18日晴れ


明日は満月だ。ここんとこ晴れる日が続いている。ウブドゥの町も旅行者の人がかなり増えてきた。
今年はどの村もドリアンが豊作らしく、近くのパヤガン村の道沿いでたくさんのワルンがドリアンの
大安売りをしている。私のアトリエの裏のドリアンの木も実をしこたま付けた。この1ヶ月で20個ほどは食べた
だろうか。なんせすぐ裏で取れるので新鮮極まりない。新鮮なドリアンはくせも少なくとても食べやすい。ドリアンが
嫌いな人は古いものを食べたのがきっかけになっている場合が多い。あまり若くてもだめだが、タイミングが
あえば、この世のものとは思えない美味さだ。活気が戻ってきたウブドウ風景を撮ろうと思ったがつい、
食卓のドリアンを撮ってしまった。お許しください。


(これは私の一人前。普通の人にとっては3人前くらい)









12月9日晴れのち豪雨!


この3日間久しぶりに晴れた。ようやく私の家の電話線も直されHPが更新できた。

夕方からは大きなお寺の儀式の行列がチャンプアンの寺まで続いていた。
雨が降ろうが晴れようが進まなくてはならないので、みんなほっとしていた。
大行列のため20分渋滞。とほほ。
夜からはまた雷雨!たいへんな天候だ。
うわつ停電…



(お寺のバロンもドゥルガも村のよろずの神全てが一時的に親寺のチャンプアンの寺に奉納される。)
    
     



(とにかく雨が降らなくてよかったよかった。)

 








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